likesthought’s diary

日記です。

何か

何かをしなければいけない、

 

そう思うこと、

 

それはいったいどういう事なのかという事を考える。

 

 

きっと、言葉にしなければ形にしていく事をしなければ、わたしは狂ってしまうのだと思う

 

人と話すこと、

特に友達

家族

恋人

そんな身近な信頼できる人と常に話ができたら良いのかもしれない

いつもそう思う

 

でも、

 

最近は特にそういう気軽に話せるような人はいない

 

というより、実際はいても求めていないだけかもしれない

最近は自分の事を話すのが面倒過ぎる

誰かと何気ない話しをするのさえも億劫だ

きっとそういう時期、”今のわたし”、がそういう状態なんだと思う

 

でも、

 

自分の中に溜まっていくものを何も形にしなければやっぱり狂ってしまうんだと思う

 

自分を見失う

 

それはまるで深い海に溺れてしまったように、先は見えず周りも見えず今どこにいるのかもわからない

深い海の中

 

そんなとき、昔ならピアノを弾いていたのかもしれない

 

音楽も、自分の中にあるものを形にできるツールだ

 

でも、それは創作であった方がもちろん良くて、既存の曲と会話をするのは少し困難だ

 

他人が自分の中に入り過ぎるからだ

 

自分以外の人の渦巻くものたちを、既存の音楽は過剰に表現し、わたしの心を侵略し侵食し侵していく

 

だから音楽は、ツールとして気軽に使いやすいとはいえない

 

 

今日は何かしなければ、

寝る前に何かしなければ、

 

そう思ってブログを書くことにした

 

何かをしなければ、とおもうこと、

もっともっと奥が深そうだ

 

 

とても眠い

 

今日はこの辺で

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

孤独

 

 

今日はとても、孤独を感じた日だった。

 

 

みんな孤独、人は孤独、最後はひとり。

 

そう言う人もいる。

 

 

え?孤独なんか感じたことないよ、

 

そう言う人もいる。

 

 

わたしは、どちらもおもう。

 

孤独だ、いつも孤独だ、

 

そういう時もあれば、

 

わたしはひとりなんかじゃない、

 

大切な人がたくさんいて

 

わたしを思ってくれる人もいて

 

ネットでも繋がっていられる

 

そんな人たちもいて

 

全然孤独なんてかんじないよ?

 

そんな時もある。

 

 

今日は改めて孤独を感じた、

 

誰もわたしのことなんてみてない

 

本当のわたしを知る人もこの世にたったひとりもいない

 

そういう事を改めて認識した

 

つまり、

 

逆のことを望んでいたんだ、てこと、

 

無意識に、

 

そんな事、不可能なのに。

 

 

だから、このブログを書いているのかもしれない。

 

だれかに知ってほしい

 

それが自分自身でもいいんだ

 

自分で見て見ぬ振りをしている自分自身。

 

ちゃんとみてあげないと、

 

悲鳴をあげる、

 

手遅れになる、

 

いつもそう。

 

やっぱり書くことは大事だ、わたしにとって。

たぶん。

 

 

 

(ヤナーチェクピアノソナタを聴きながら)

 

 

 

それでも

 

 
それでも。
 
 
 
 
わたしは、書くことがすきだ、きっと。
 
 
喋るのは、にがて。
 
 
 
今も、今日も、言葉にしたかったこと、言葉にしきれなかったこと、
 
そんな形のないものたちが、胸の中でうずうずとしている。
 
 
そんなとき、対処方法はきっと人それぞれ、状況にもよるかと思う。
 
 
 
わたしは、大抵、ピアノを弾いていた。ピアノのそばにいることが、好きだった。
 
いや、たぶん、好きという感情ではなかった。
 
ただ、そこにいるということ、それが自然なことだった。
 
もやもやした感情をピアノを弾いて解消していた。
 
自分のその時の想いを即興で弾いたり。
 
 
そして、気分の良い時は、ひたすら歌っていた。
 
歌わずにはいられなかった。
 
 
そのくらい、わたしにとって、音楽が、自分の一部になっていた。
 
音楽を通して、自分の感情を表現するしか、方法をしらなかったとさえ思う。
 
 
 
今は、、
 
 
とてもいろんなことにトラウマがある。
 
 
 
そのうちのひとつ。
 
 
とても大切な心の支えだったピアノ。
 
急にいなくなった。
 
 
もう二度と会えない。
 
この世にたったひとつのピアノだった。
 
 
 
今はあまりピアノを弾かない。
 
といっても、時々は弾いている。
 
 
悲しいとき、つらいとき、いつもピアノと一緒だったから。
 
たったひとつのピアノがいなくなっても、また一年後には、ピアノを弾いていた。
 
 
 
だから、、だから、、
 
 
わたしはピアノを弾くと悲しくなるのかもしれない。
 
 
 
 
今日、はじめて、そう思う。
 
 
今日、言葉に起こさなければわからなかったこと。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

今日という日。

 

 

冬眠。

冬眠とはなんだろうか、そんな研究の本を数年前に読みかけたままだ。

結論がとてもきになっている。

 

どうしてかって、わたしは冬眠するからだ。冬眠といっても、わたしは人間。きっと人間。だから、もちろん生きていくだけの最低限の事はしている。例えば、生きていくのに必要なご飯を食べること。でも極端にいえば、冬眠中にしている事といえば、そのくらい、と言っても過言ではない。それに、食べる量や、タイミングは減ってしまう。あとは、寝ている。とにかく眠いのだ。

 

最近は、もっぱら食べていた。とにかく、食べたくなるのだ。食べても食べても食べたくなっていた。きっと太ったと思う。でもわたしは知っていた。きっとこれは冬眠の準備なのだと。

 

そして、今日という日がやってきた。

 

とても閉じ籠っている。当然外には出たくはない。人と関わるのも気が向かない。何をしているか、それは、、。

 

わたしは、冬眠した。

冬眠が始まった。

 

冬眠中に何ができるのか、今日はそう考えていた。きっと表に出なくても、意識があいまいだったとしても、できることがあるはずだ。

 

こうして文章を綴ることなら、きっとできるようなきがする。

 

だから、できるだけ、このブログを更新していきたいとおもう。

 

少しずつ、わたしというひとりの存在を、ここに記すこと。

 

人からどう思われるか、全くきにしないわけではない。けれども、どう思われたってかまわない。

 

もしも、この日記を読んでくれる人がこの世界に1人でもいたなら、それだけでも当然ながら、価値のあることだ。

 

何が起こるのだろう、じぶんの変化をとてもたのしみにおもう。

 

今日は、ひとつ、気づいた事がある。

 

ここにわたしを記していく事、それは、じぶんがここに生きているという確認の作業になるのかもしれない、という事。そう気づいた時、少し泣きそうになった。

 

きっとわたしは生きている事を忘れていた。

 

今日もまたお腹を壊してしまった。

 

おやすみなさい。

明日があなたにとって、素敵な一日になりますように。

 

like

 

 

 

昔まだ子供だった頃、日記を毎日書いていたおじいちゃんに訊いたことがある。

 

なんで毎日日記書くの?

 

「それは、、んー、、はっはっはっ、、、生きているという事を確認するということなんですね。。んー」

 

そう言われたようなきがする事を、今ふと思い出した。

そのときは、ふーん、て言ったと思うけど、さっぱり意味がわからなかった。

 

けど、今わかったよ。はじめてわかったよ。